今回は筆者がまだ卒業したてのひよっこ看護師だった頃に「優しさ」に悩まされたエピソードを振り返ってみたいと思います。
当時、私が勤務していた外科病棟は院内でも群を抜いて忙しいと言われる職場でした。おぼつかない業務でも強制的に独り立ちさせられていく不安だらけの中、上手く仕事を回せずにインシデントをたくさん起こし始めたのもこの頃です。とにかく毎日忙しく、帰宅するのもやっとなぐらいにクタクタになって、瞼を閉じた瞬間に朝が来るような生活を送っていました。そんなある日、プリセプターの先輩との定期面談がありました。
日勤終了後の静かな休憩室で、先輩と私は向かい合って座りました。
新人技術チェックリストの達成度を確認しながら「半年経ってみてどう?」と尋ねられた私は、どれも優先度が高いと感じられる多重課題にうまく対応できないこと、待ったなしで業務が降りかかり、聞ける先輩が誰も捕まらない環境下でヘルプの出し方が分からないことを話しました。
何がこんなに上手くいかない理由なのか、分からないことが何なのかも分からなかった時期です。きっとまとまりのない話になっていたと思います。しかし、先輩は静かに優しく話を聴きながら、私をまっすぐ見てこう声を掛けてくれました。
「あなたは優しいからきっと頼みやすくて、患者さんからも頼みやすいんだと思う。手一杯で対応できない時にはちゃんと伝えれば分かってもらえるから大丈夫。ゆっくり落ち着いて一つ一つこなしていこう」
当時の私は、
「ゆっくり落ち着いて業務がこなせる環境があるならこんな風に悩んでいないよ」
...とへそ曲がりな思いが湧いてきたと同時に、予想外にかけられた「優しい」という言葉に
「優しさって何? 自分で自分の首を絞める要素なの?」
...と、ただただ悩みの種となりました。
ちょうど同じ頃、病棟にはターミナル期の患者さんが増えてきており、さまざまなケアを必要とする場面も増えてきていました。他の患者さんの検査迎えの時間が迫った時に痛み止め追加を希望するナースコール、時間を守らなければならない処置中の頻回なトイレコール、予定外で急に必要になった清潔ケア。もう手一杯です。
余裕のなさや、少しお待たせしてしまう状況に、いつも申し訳なさと不甲斐なさを感じていました。一方で患者さんからはこんな言葉をいただきました。
「あなたは優しいから安心する」
「優しくしてくれてありがとう、嬉しい」
こうした嬉しく思えるはずの言葉にも、私は戸惑いを隠せず、きっと困った笑顔を浮かべていたのではないかと思います。
【今、「優しさ」に思うこと】
あの頃、帰宅するのもやっとなぐらいに疲れていた私は、自分の首を絞めていた「優しさ」の正体が一体何なのかを結局掘り下げることはありませんでした。確かに、自分の理想はどんな相手を前にしても優しく丁寧でいたい。でも、そんな思いとは裏腹に、どんどん余裕がなくなり、心身ともにボロボロになっていく自分を自覚しながら、不意にフィードバックされる「優しさ」に困惑し、素直に受け止められずにいました。
バタバタと時間だけが過ぎ、いつしか考えることからも遠ざかってしまっていましたが、やはり今でも時折悩まされるこの「優しさ」という命題には正解が見出せていません。
経験年数を重ね、あの日のプリセプターの先輩の年齢を追い越した今、ただ全てを受け入れることだけが「優しさ」ではなく、時には自分でできることをやってもらおうとしたり、治療や健康に差し支える飲食や禁止されている事を行なっているような場面に遭遇したり、相手に対して教育的立場を取らないといけない難しさも感じています。
当時は、先輩や患者さんが肯定してくれた「優しさ」というフィードバックを素直に捉えられずにいましたが、10年以上が経過した今では少し捉え方も変わりました。
それぞれの資質や人生経験の中で育まれる唯一無二の「優しさ」の正体はきっと、相手を思って関わった数だけ存在するし、存在してよいものかなと感じています。そして私は今でも、看護師として「優しさ」の最適解を模索しています。
リフレーミングコラムとは?
このコラムでは、看護職としてお仕事をしている皆様のなかで、心に残るエピソード、もっと上手く対処したかった悔しい経験、今だからクスッと笑える話を共有し、前向きに昇華したいと考えています。日々積み重なっている思いを同じ職種だからこそ分かち合える「看護」という共通言語でつづり、皆様にとって何かの助けになることを願っています。
ライタープロフィール
【YUKAKO】ナースLab認定ライター
渡航医学が大好き。座右の銘は「看護師免許は自由へのパスポート、免許に使われるのではなく自由に使って下さい」。いつかGlobetrotterになる日を夢見て働き方をデザイン中。
ナースLabホームページ