私の父は少し短気で口調も荒くめんどくさい人。それでもどこか憎めない、昭和気質の愛すべき父でした。
「昼のパンがない!」「正月前なんだから、うまいもの食わせろ!」
そんな父の声を聞いたのは、最期の日の昼でした。それからわずか数時間後、父は突然の心肺停止で救急搬送されたのです。そんな父の最期に、私は“看護師”ではなく“娘”として向き合うことになったのです。看護師として多くの看取りを見てきた私でしたが、家族として父の最期に向き合ったとき、思いがけない迷いと感情の揺れを経験しました。今回は、父の看取りを通して私が学んだアドバンス・ケア・プランニング(ACP)についてお話しします。
当時の私は、総合病院の呼吸器内科・外科病棟で勤務する看護師でした。同居していた父に肺がんが見つかり、手術を受けたものの術後に間質性肺炎が悪化、在宅酸素療法を必要とする生活になりました。呼吸器疾患の患者さんを多く見てきた経験から、私は病気の経過をある程度想像することができたわけです。心配する母に対し「良くなるとどうなるか」「悪くなるとどうなるか」を一緒に考えながら、父のこれからについて話し合いを重ねました。その中で私たちは「積極的な治療はせず、看取りに」という方向で少しずつ気持ちをすり合わせていったのです。
ありがたいことに、父は手術後から5年間、自宅で生活することができました。しかし最後の1年は徐々に体力が落ち、歩行も困難な状況になりました。在宅診療や訪問看護の力を借りながら、家族で介護を続ける日々。私と母の間では「できる限りのことはするけれど、病院に搬送するほどの状態になったときには積極的治療はしない」という話を何度も確認していました。そうして私たちは、父の最期を自宅で迎える覚悟を少しずつ整えていたのです。
看取りの瞬間は突然訪れました。その日、父は母と口げんか。「昼のパンがない」「正月前なんだからうまいもの食わせろ」と、いつも通り威勢よく話していました。そんな話を聞きながら私は買い物のために外出。帰宅すると母が血相を変えて言いました。
「息をしていない。息をしていない」
私はすぐに救急要請し、到着まで心臓マッサージを続けました。同時に頭の中では「この急激な状態は、もしかすると肺のう胞が破れて気胸になったのかもしれない」と考えていたのです。搬送後、医師から告げられたのは「気胸による心肺停止です。人工呼吸器をつけても回復は難しいでしょう」という説明でした。私は「やはりそうか」と。そして、これまでの経過から治療中断という選択になるだろうと予想していました。しかし、その隣で母が医師にこう言ったのです。
「どうにかならないですか。なんとかなりませんか」
結局、父の治療は中断となりそのまま看取りに...。
私はしばらく、この出来事をうまく整理できませんでした。
ACPが教えてくれた家族の揺れ
父が肺がんと診断されてから、母と看取りについて繰り返し話し合っていたのに、どうして母はあの言葉を口にしたのだろう。人は決めたことを、どうして変えてしまうのだろう。しばらくは繰り返し、このことを考えていました。その答えに出会ったのが、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)でした。ACPとは、将来の医療やケアについて、本人・家族・医療者が繰り返し話し合いながら価値観を共有していくプロセスです。ACPを学んだとき、私は気づきました。納得していても納得できない。理性では理解していても、本能では受け入れられない。家族が揺れるのは、決して特別なことではないのだと。あのとき、あれほど最期について話し合っていたはずなのに、母が口にした言葉も、その揺れの一つだったのだと、今では思えるようになりました。
今、私は施設で看取りケアに関わる仕事をしています。家族の言葉や迷いに触れるたび「あのときの母もきっと同じだったのだろう」と思います。そして、今働いている施設で看取りの場面に立ち会い、看取りから治療へと希望を覆すご家族と関わるとき、ふと父と母のことを思い出すのです。看取りの場面で揺れる気持ちは、決して間違いではありません。むしろ、それは大切な人を思う自然な感情なのだと思います。ACPは、その揺れをなくすためのものではなく、揺れながらも「その人らしい最期」を一緒に考えていくための対話なのかもしれません。
厚生労働省
人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)について
リフレーミングコラムとは?
このコラムでは、看護職としてお仕事をしている皆様のなかで、心に残るエピソード、もっと上手く対処したかった悔しい経験、今だからクスッと笑える話を共有し、前向きに昇華したいと考えています。日々積み重なっている思いを同じ職種だからこそ分かち合える「看護」という共通言語でつづり、皆様にとって何かの助けになることを願っています。
ライタープロフィール
【はまなす】ナースLab認定ライター
新潟県出身。2000年卒業し看護師生活をスタート。兄も利用していた小児療育施設に10年勤務を経て現在はクリニックで勤務中。
2022年からライター活動をと看護の二足の草鞋を履きつつ、今はクリニックのマニュアル改定をしながら日々駆けずり回っています。
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